1450 東証スタンダード(建設業)
田中建設工業
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事業内容(レポートから抜粋)
民間の建築物の解体工事の施工監理に特化した建設会社
田中建設工業は、東京、神奈川、千葉、埼玉の一都三県を中心に事業を行う、建築構造物の解体工事専業の建設会社である。
解体の対象はビルや集合住宅、商業施設等が中心で、約40年の社歴を持ち、横浜プリンスホテル、ホテルオークラ東京本館をはじめとして、有名な施設の解体工事での実績を多く有している。
田中建設工業のビジネスモデルの最大の特徴は、解体工事のいくつかの業務プロセスのうち、田中建設工業は施工管理業務に特化している点である。実際の解体工事は協力会社が行っている。
田中建設工業は、解体事業の単一セグメントだが、売上高は6つの顧客区分に分類される。22/3期まで構成比が最も高かったゼネコンは、ゼネコンが施主(田中建設工業が元請)のケースと、ゼネコンが元請(田中建設工業が下請)のケースの両方がある。
ゼネコンを超えて23/3期に売上構成比が最も高くなったのは、エンドユーザー(ゼネコンとデベロッパー以外の一般法人等)である。次に多いのがデベロッパーで、最近は30%台の売上構成比を占めるようになった。また、エンドユーザー、デベロッパー、ゼネコンに次ぐのが再開発(再開発組合、団地再生組合等)であるが、これは大型案件の有無で変動する傾向にある。
一方、官公庁は直近4期間、売上高ゼロが続いている。田中建設工業の象徴的な案件とされる日本青年館の解体工事(15年末に完了)が官公庁案件であり、田中建設工業にとっては珍しい案件と言える。
(2023年8月10日時点)
沿革(レポートから抜粋)
創業者で現名誉相談役の田中俊昭氏は解体工事を中心に行っていた中野工務店に勤務していたが、1982年2月にのれん分けのような形で、同一社名の中野工務店を設立した。こののれん分けされた中野工務店が同社の前身となる。
同年5月に田中工業に商号を変更し、6月に一般建設業許可(東京都知事許可 とび・土工工事業)を取得し、東京都で事業を開始した。
設立当初より、同社は解体工事を事業領域としていた。解体工事は景気の良し悪しの影響を受けにくく、建築工事とは異なり、不況期でも安定的に仕事があると言われている。
同社も好不況の影響をさほど受けることなく順調に売上高を拡大するとともに、事業を行う地域を埼玉県や千葉県に広げていった。95年には、特定建築業許可(建設大臣許可 とび・土工工事業)を取得し、大型元請工事が行えるようになった。
現在の田中建設工業に商号を変更した96年に、建設業許可に建築工事業が追加されるとともに、一般建築士事務所の登録を行うなど、業務の対応範囲を広げていった。それでも解体工事が中心であることは変わらず、解体工事に関する実績を積み上げていった。
「あの建築物を造った建設会社」というように地図に名を刻む可能性がある建築工事とは異なり、解体工事の実績は地図には残らない。それでも、同社は、「昔あったあの建築物を解体した会社」というように、有名建築物の解体で実績を残していった。10年の横浜プリンスホテル、15年の日本青年館、16年のホテルオークラ本館などがその一例である。
国土交通省が建設業の許可業種区分に「解体工事業」を新設するなど、建設業において解体工事の重要性への認識が高まっている。同社は区分が新設された16年のうちに、いち早く特定建築業許可(国土交通大臣許可 解体工事業)を取得するなど、解体工事業界で有数の企業としての地位を固めていった。
そして、18年12月に東京証券取引所JASDAQスタンダード市場への上場を果たし、現在に至っている。
(2021年9月24日時点)